ピンクボンゴ、、、 47

 

 

錦糸町のホストクラブで ギターを持たずに 歌っていた、半年も過ぎた頃 実の 姉兄 たちが

ホストクラブに遊びに来ました、、、、、、

歌ったり して 楽しく遊んだ あと

一番上の 姉が 

信義、 貴方 ジャズを勉強しているんじゃ

なかったの?

と 少し 詰問 する感じで 聞きました。

生活して行くために 行きがかり上 こうなっている事、

フリーのジャズギターリスト として 生きて行くためには まず ハコ のミュージシャンを

卒業 して 有る程度の 期間 色々な所に 出向いて 弾かせて貰って 自分を知って貰う必要がある事 その期間は 収入が 無いから 

難しいのだよ、、、、、、

と言うような事を 説明すると 姉は

じゃ ウチにおいで、

その期間、ウチに 居ていいよ

と 助け舟を 出してくれたのでした、、、、、、

今でも 千葉方面には 足を向けて 寝た事は

有りません!、、、、、、          笑

と この様な経緯で 錦糸町のホストクラブを

辞める事が 出来たのです、、、

そして 一足飛びに 時間は流れて

帝国ホテルの控え室、、、、、、

オトウサン 歌 ウタウンダヨ、、、、、、

とマコ が 大路さんとゲタ夫さんに言いました

その一週間前くらいに 三上サンご夫妻と カラオケに行き 行きがかり上 ボクも 20年ぶりくらいに ホストクラブ時代に歌っていた 曲を数曲うたったのでした。

マコにとっては 結婚以来 初めて

ボクが歌うのを 聴いて ビックリ したようで

それで つい オトウサン 歌 ウマインダヨ

と言ってしまったようでした、、、、、、

その一言が ピンクボンゴ史 にとって 大きな波紋を 投げかけてしまったのです。

それを聞いた 大路さん!

マコさん  何を 歌ったんですか?

オトウサン なんだっけ?と振り返って ボクに 聞くので  行きがかり上 足手まとい だよ

と言うと 大路さんの目が キラリ とひかり

キイ はなんですか? と聞いて来ました!

こんな事になるとは 思いもよらず 

  迂闊(うかつ) にも Em  と言ってしまった!

あの時! ソレが 分かっていれば違う言い方を

したはずなんだ!

キイ までは 分からないよ、、、、、、  と!

何故なら 本当に 本心から 別に ムード歌謡

歌いたいとは 思っていなかったのです!

あの時は 生きて行くために 必死で やらなければ いけなかっただけなのです、、、

それから 2〜3日後の ピンクボンゴのライブ

赤坂 ビーフラット で有りました

カポネさん 新曲 です と言って

譜面を渡されました!

見ると 

足手まとい feat  CA PONE (BE.BOP.VIRSION) 

イントロに 凄まじいまでの バップフレーズ

が キチンと 32 小節 、、、、、、

大変な 力作 です!

2002年 6月22日 の事でした、、、、、、

続く、、、

 

 

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