ピンクボンゴ、、、 53

 

 

 ピンクボンゴです、、、、、、

この曲 作詞 作曲 した時は 5分位で 完成しました。

考えたのは 全員で 歌う!

メンバー紹介を 歌の中で やる!

と言う事で ステージにのせて 二回目くらいには さすが ピンクボンゴの皆さん、

メンバー紹介の所  身振り 手振り で演りました、、、、、、、、、

ダイロー のところ 大路さんは 自分を指差し

他の四人は 大路さんを 指さすのです

以下 同文的に ゲタ夫さん カポネさん

コンチュウはん ジュアサ と 見事な チームワーク、、、、、、、、、

曲を作った 私の 指示が 無くても 直ぐに

ソレが 出来る!

簡単な ようでいて なかなか、、、、、、、

オヌシタチ  デキルナ!

と言う 思いで 観ていました。

そうこうしているうちに なんと ピンクボンゴの 第二の頭脳、ピンクボンゴの奥座敷とでも言うべき 中島徹!

徹ちゃんが 素晴らしい アイデア を提供 してくれました!

我々は ツアーで 日本全国 を回っていましたが その場所ごとで 地元の 関係者に 

こちらでは 自分を紹介する時に 

なんていわはりまっか? とか

ホナ コレは なんて イワハリマスノン?

的な ことを 質問攻め するのです!

徹ちゃん は 妥協 を許さない 厳しい人ですので? 事件記者 のように メモとペンを 両手に持って  地元の関係者に 迫る 日々 でした。

その 徹ちゃんの 妥協を許さない (この部分はワタシの創作です、、、 徹ちゃんはそんな人では有りません。 常識をわきまえた 優しい人です、、、、、、 申し訳ありませんでした、、、、、、)

日々の努力のたまもので 

ピンクボンゴです  は たちまち ツアーで行く 場所 場所 で 大いなる 笑いと 共感

を待って 迎えられました!

大路さんも 喜んで くれました!

そして  ピンクボンゴです  を

2部の ステージの 一曲目に 固定して 演奏するようになります。

ひとつの 例 を挙げると

ピンクボンゴです

      やで

ピンクボンゴだよ

      やど

ピンクボンゴだぜ

      やで

ピンクボンゴだよん

      やし

ピンクボンゴだぜ

      やて

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

これは 何処の地方 なのでしようか?

ピンクボンゴです  の譜面に 赤ペン で書いて有りました。

このようにして 日本全国の 場所ごとの 言い回しが 徹ちゃんの   汗と努力 の結晶

として 残されました、、、、、、

続く、、、

 

 

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