北海道阿寒郡阿寒町大字仁仁志別

3里の道について少し説明しますと 1里が約4キロだから、3里で12キロメートル。 普通 成人男性が4キロを1時間で歩きますから、12キロだと3時間の行程になります。 子供の僕には気が遠くなるような距離でした。

そしてそのトロッコには、御者というか、運転手は居ませんでした。 
トロッコは毎朝10時頃 仁仁志別を出発して 午後1時頃山花に着き、3時頃山花を出発して、午後6時頃 仁仁志別に着きます。 馬は山花で繋がれて放っておかれます。仁仁志別には 馬の小屋がありました。 その間の運転というか、馬を動かすのは 乗客でした。 
のんびりした時代でした……。


何せ、仁仁志別に連れて行かれる時に 1度しか乗った事が無いので、トロッコについての記憶も曖昧です。
中学1年生の時、養父の転勤で 仁仁志別を去るまで1度も仁仁志別を出たことが無いのです。 

さて、
夕方、薄暗くなった頃、仁仁志別に着きました。
家が4, 5軒 ぽつんぽつんとあります。細い道を 養父の後から とぼとぼ付いて4, 5分も歩いたところに 仁仁志別小中学校(小学校と中学校が一つになっています)がありました。 その小中学校に連結して住宅があり、 そこが 柘植広の住まいでした。 
そう、彼は校長先生だったのです。


彼は物も言わずに玄関を開けました。 すると中から、62, 3歳くらいの女性(阿部トミ)と、20歳くらいの女性(柘植安子)二人が 「お帰りなさい」 と声を掛けました。
うん」 と小さく頷いて、彼は玄関を上がり 居間のストーブの前に座りました。
僕はその後に続き、2メートルくらい横に離れて座りました。 


 柘植 広…… 仁仁志別小中学校校長(47, 8歳) 。
 阿部トミ ……母の母親(62, 3歳)。実のお祖母ちゃん。
         この壮大な物語の大本になっている人物。 
 柘植安子……20歳くらい。15, 6歳の時に養女になる。
   
 柘植信義……現在の宮崎カポネ信義 

          
この4人と、開拓部落の大自然が この物語の中心になります……。

                                     (続く)

 

 

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