ピンクボンゴ、、、 54

回数を重ねるごとに 進化 して行くのは

ピンクボンゴの中では 当然のように この

徹ちゃんの ピンクボンゴです  の歌詞を

行く先々の 地元の言葉に 置き換える

作業も初めは  です   の部分だけだったのですが

やがて 他の 歌詞の部分まで 広がりを見せ始めました。

コレは 大変な 努力を 伴う 作業でした!

兎に角 徹ちゃんは 一切の妥協を許さない人!

ですから  ツアー中 現地に着いたら ピアノの練習なんか している場合じゃない!

とばかりに 地元の関係者に メモとペンを持って 事件記者(コレも 今の若い人には 分からないかもね、、、我々の世代には 一世をふうびした ドラマでした)  のように 取材をするのです!  

満足のいく 言葉が見つからない時には

ナント 隣り町まで 出向いて 行く事も 有りました、、、、、、、、、、、、

↑  すいません、ちょっと盛りました!

と このような 徹ちゃんの素晴らしい 努力で

ピンクボンゴです は格段に スケールアップして行きました♪

2部のステージの最初に 真っ黒い サングラスをした いかつい 5人の男たちが 

ピンクボンゴ だけえね ♫とか

ピンクボンゴ ばい ♫      とか

ピンクボンゴ だで ♫      とか

今日も元気 じやろ ♫     とか

今日も元気 ばいた ♫      とか

今日も元気 だけぇ ♫       とか

その地元の 言葉で お客さん に歌いかける そんな風景を 想像してみて下さい!

、、、、、、、、、、、、、、、、、、

なんと 楽しい バンド ではないですか!

ピンクボンゴの全員が 大路さんのもと 一糸乱れずに 結束して ピンクボンゴ を演奏をしていたのでした♪

正月休みの時 ゲタ夫さんのお家で 集まって

パーティーをする事が良くありました。

その時に ピンクボンゴのステージを DVD 

を 見る事が有り その時の みんなの感想は 決まって 

このバンド ナマで 観てみたいね!

と言う 現実には 叶わない ものでした。

、、、、、、、、、

とこのように  ワタシの 作った 

ピンクボンゴです  でしたが 徹ちゃんの

汗と努力の結晶で 多くの人達に 喜ばれる?

存在になって行きました。、、、

続く、、、