私の人生をかけた健康法
~冷え取り(靴下重ね履き)
生活療法について 

家の前は、小さな川が流れていました。
泥鰌がたくさんいて、よく泥鰌すくいをしました。
取ってきた泥鰌をよく洗って、豆腐と一緒に煮て、お味噌汁にして
いただきました。

裏は山で、春には ウドや 蕨やぜんまいを取りに行きました。

冬にはスキーをしたりして遊びましたね。

当時の夕張は人口12万人になろうとしていました。
いわゆる北海道の地方都市、炭鉱の町として栄えていました。

子供達はそんなに悪い子もいなくて、平々凡々とした少年時代を
過ごしていた17歳の春、私は事故にあいました。

兄が残していった古いオートバイに乗って僕は通学していました。
そのオートバイは古くて整備状態もよくなくてブレーキも壊れていたの
です。
それでも 日ごろ乗るのには なにも不便は感じないくらい 町では
車も少なく のんびりとしたところだったのでしょう。
いつものように通学しようとして 旭町を抜けて、本町を通らずに、
昭和道路を走っていました。

路肩に止まっていた車が、急に道路に出てきたのです。

オートバイは乗用車と正面衝突しました。

僕は空中に放り出され乗用車を飛び越えて道路に投げ出された
みたいでした。

幸運にも僕は高校の体育の授業で柔道の受身を習っていたところ
で、投げ出されたときにアスファルトの上で、
右腰を下にして受身をしていました。

あ、ぶつかるっ!と思ったときから、アスファルトの上で受身をして
いた時までの間の記憶がないのです。

僕の何十年間の人生で、記憶がないのはその時だけです。

気がついたら、左足のふくらはぎの部分の肉が2センチ四方くらい 
すっぽりなく 白い骨が見えていました。
その骨をこんこんこんと叩いてみました。 無意識に折れているか
どうか確かめようとしたのだと思うのですが・・・

そうすると見る見るうちに、骨と肉の間から血が湧き出すように流れ
出しました。
乗用車の運転手はあわてて飛び出してきて 「大丈夫ですか?」と
声をかけてきたように思います。

なにせ、田舎の少年ですから、そのとき 「ええ、大丈夫です。」と
いって自分で起き上がり、「すみませんでした。」と
いったように思います。
そしてすぐに 自分でオートバイを起こして、その場から逃げるように 

オートバイを押して家まで帰りました。
家について母にタクシーを呼んでもらい 病院にいきました。 

 

 

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