ええ~、毎度おなじみチリ紙交換です…
△月△日
以前にも書きましたが、ちり紙交換の会社は荻窪にありまして 、仕事の行動半径は、中野から西東京の範囲でした。
運転の技術に不安があることと、住宅街が少ないこと、この2点で、新宿を超えて都心に向かうことはありませんでした。
僕は20歳から10年間、ジャズギターの巨匠、高柳昌行に師事していました。
(その後7年間、2人目の師匠 潮先郁男についています。)
その高柳さんは四谷に住んでいました。
当時、毎週月曜日、電車で荻窪から四谷までレッスンに通っていました。
高柳さんの家まで車で行けたら楽しいだろうなぁ!と思いながら、チリ紙交換の仕事をしていました。
さて、仕事を始めて半年くらいも経った△月△日、その日は朝起きた時から "ようし! 今日は四谷まであの新宿の喧騒を超えて、大冒険をするぞ!!" と一大決心をしました。
今なら、新宿を車で横断することなどなんとも無いのに 、あの頃はそんな気持ちだったんですね……。
そして朝 会社に着いて 例のおんぼろ小型トラックに乗って、キーを差し込んでエンジンをかけました。
ボローンブルルーン……。
「ようし!今日は先生の家まで行くぞ!」
あの新宿を越えていくんだ!
当時は荻窪から阿佐ヶ谷の友達の家まで、友達の車を運転したのですが、3車線の真ん中に入ってしまって、右にも左にも曲がることが出来なくて 阿佐ヶ谷を通り越して、高円寺、中野、東中野でやっとの思いで、左折できたという程度の運転技術でした。
そんな程度に毛が生えたくらいの運転技術でしたから、新宿を超えるということは大冒険だったのですが……。
意外とあっさり、新宿を過ぎて四谷までたどり着きました。
先生は四谷の若葉町という所に住んでいました。
あ、そうそう、先生と言えば、この人も大変 味のある人でした。
'楽器との出会い' の時にも書きましたが、先生との出会いも、似たような物でした。
友達の紹介で知り、習い始めた頃は 高柳昌行と言う人は、町のギター教室の先生くらいに思っていました。
半年くらい そう思っていたのですが、ある日レコードショップで、ジャズのレコードを物色している時、'プロフィール オブ ジョジョ' というタイトルに目が留まり、良く見ると、高柳昌行と書いてありました。
「同じ名前の人がいるもんだなあ……」 と思って、さらに良く見ると、写真があり、なんと、あの 町のギター教室の先生じゃないですか!! ……
(続く)