師匠・高柳 昌行さんとの思い出 19

大島 信ちゃんが 「来月から うちのバンドに おいでよ」 と 言ってくれて

そして、 『華』 の 皆さんが 盛大に 送別会をしてくれて

プロの道へ 送り出してくれました。

 

信ちゃんは、 僕のギターを 一度も聴いたことはないのですが

自分のバンドに 誘ってくれたのは、 

僕が 高柳 昌行さんに 習っている という理由からだったようです。

 

 

 

 

何月だったかは 忘れましたが 〇月1日から 仕事が はじまりました。

 

『華』 での 月給は 3万円そこそこ でしたが 

そのバンドの 月給は 1,5倍の 4万5千円でした。

 

『これからは 毎日 好きなギターを 好きなだけ 弾いて そして お金も 4万5千円も もらえる!

なんて いい 話なんだ!! 大島さん アリガトウ・・・・』  と 心の中で 思いました。

 

 

 

 

 

新宿の 名門クラブ 『スコッチ クラブ

ここが 僕の 初めての ギターの仕事場でした。

 

信ちゃんたちの バンドは リードボーカル、 キーボード、 ベース、 ドラム それに 僕。

5人編成の 歌謡コーラスバンド でした。

 

もう一組 メインの バンドがあり、

テナーサックス、 ピアノ、 ウッドベース、 ドラム の

所謂 ジャズの ワンホーン カルテットでした。

 

スコッチクラブ は 当時では珍しく 毎週 日曜日はお休みの 最高級クラブでした。

 

 

信ちゃんたちの バンドのリーダーは 

冗談かと思うでしょうが ミッキー宮崎さん という人で

キーボードを 担当していました。

日頃は スチールギターを 弾いているみたいで ハワイアンミュージック 出身のようでした。

キーボードも 一生懸命 練習して 何とか弾いている という感じだったのかも しれません。

 

 

信ちゃんが ミッキーさんに 紹介してくれました。

「こちらが 高柳さんの お弟子さんの 宮崎くんです。

そして こちらが ミッキー宮崎さんです。」

 

僕は 緊張しながらも 「きょうから 宜しく お願いします」 と 頭を 深々と 下げました。

 

ミッキーさんが 軽く 言いました。

 

「頼みますよ・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    ☆もも爺 (水曜日, 21 3月 2012 18:56)

    いよいよ、プロの道へですねヾ(^v^)k 当時でしたら、大卒の初任給くらい
    ですね(^_-)
    歌謡コーラスバンド、いいですね!今のカポネさんが有るのは
    当時に培った美声と歌唱力なんですね!納得です(笑)
    さあ、どういう展開が待ってるのか、楽しみです(@_@)

  • #2

    カポネ (水曜日, 21 3月 2012 20:15)

    もも爺さん

    コメント、有り難うございます。さあ、どのような展開があるのでしょうか?
    お楽しみ、下さい。

    ところで、エリングバードの皆さんは、お元気でしょうか?
    懐かしいです。
    よろしくお伝え下さい。