師匠・高柳 昌行さんとの思い出 14

高柳 昌行さんのレッスンは 月に4回でした。

毎週月曜日。

1周、2週、3週が 実技で 

4週目は なんと、月曜日組が 一同に会して 本の読み合わせ会。

それについての討論会を 2時間くらいにわたって やります。

 

どうです?変わってるでしょう・・・・・

 

なんてったって 日本ジャズ界の鬼才、孤高のギタリストですから。

 

そして もっと 変わっているのは 毎週 レッスンの時に 作文提出を 義務づけられていたのです。

1週間の中で 自分が一番 強く感じた事を 400字詰原稿用紙1枚に 纏めるのです。

 

高柳さんの考えは 『音楽教育というものは 技術だけじゃなくて、

それ以上に 人間教育が 重要である』 というものでした。

だから、作文提出と 月1度の本の読み合わせと それについての討論会なのです。

 

僕にとって 高柳 昌行さんは 最初は 町のギター教室の先生でしたが

途中からは 日本を代表するジャズギタリストに なっていました。

先生の言う事は 絶対です。

 

作文も一生懸命 書きました。

『自分の考えを 400字に纏めると言う作業は 

ジャズのアドリブのアイディア や構成を まとめる時に必要だ』 との 先生の 考えでした。

 

 

今あれから 色々な 経験をしてみると 

やはり 高柳 昌行さんの生き方、そしてレッスンの方法は 特異と言わざるを得ません。

 

 

 

しかし 21歳の頃の 僕は 

今ほど 経験が無かった事もありますが、殆ど 盲目的に 先生に ついて行きました。

 

 

あの頃の 僕にとって 高柳さんの存在は 絶対的なものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く・・・・・・・・・・・・・・・・