師匠・高柳 昌行さんとの思い出 21

このようにして 僕の プロとしての生活が 始まったわけですが・・・・・・・・・・・・・

 

一番 嬉しかった事は 一日の中で 自由にギターを弾ける時間が 増えたことでした。

 

「華」 に勤務しているころは、 朝8時ころ起きて 身支度をして 9時頃 家を出ます。

夕方6時に 仕事が終わり 通常は、中番の人に 食事を作ってもらって それを食べて

うちに帰るのが 7時半か8時頃でした。

それから、深夜1時くらいまでが 自由になる時間でした。

一応 5時間 あるわけですが 5時間全部 練習に使えるわけでもなく 

4時間前後だったでしょうか。

 

それにくらべて スコッチクラブでの仕事は 家を 夕方の5時半頃出て 11時半ころ帰宅します。

つまり 朝 8時頃起きて 夕方5時ころまで 自由な時間が 9時間に 増えました。

この9時間に増えた事が 僕には 一番 嬉しかったと感じたと 記憶しています。

 

何せ 高柳さんの レッスンを 受けると言う事が 僕の生活の 全てだったからです。

 

 

 

 

さあ 夕方 5時になりました。

スコッチクラブに 出勤です。

 

お店に 6時少し前くらいに着き 裏口から 「おはようございます」 と

元気に挨拶をして 控え室に入ろうとしたら、 

何と 目の前で 数人の ホステスさんたちが 着替えているでは ありませんか!

 

上半身が露出されているのを見て 顔を 真っ赤にして 下を向いて もじもじ していると

中の方から 「あら、きのうから はいった 坊やね。 はいってらっしゃい」 という声が

かかりました。

僕は 下を向きながら 小走りに バンドの控え室まで 行きました。

 

僕にも このような 純情な時代が あったことを 今、懐かしく 思い返しています・・・・・・・・

 

 

控え室には まだ誰もいなくて 僕は 一人でした。

歌謡コーラスバンドは ユニホームが 揃っていて 普通 白の上下のスーツとか

黄色、ブルー、紫とか こういう 派手目の ものでした。

ミッキー宮崎さんのバンドも 白の上下のスーツでした。

バンマスが 人数分のスーツを 揃えておく というのが 普通のようでした。

僕は 前任者が着ていた 白の スーツに着替えて ギターを出して チューニングをして

皆さんを 待ちました。

 

しばらくすると メンバーが 来たので

僕は「おはよーございまーす!」 と元気に挨拶をしました。

 

「おはよう・・・・・・・」

 

 

 

こうやって 2日目が 始まりました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

続く・・・・・・・・・・・・